2011年4月18日
大英帝国随一のモダンなターミナル「旧カラン飛行場」
飛行場の面影を残した“オールド・エアポート”
飛行場としての役割を終えた後も、カラン飛行場は多くの建物や施設がそのまま残され、ターミナルビルはシンガポール人民協会(People’s Association)本部として60年代初頭から2009年まで使用されていました。また、他の建物をシンガポール・チャイニーズ・オーケストラが使用していたほか、敷地の一部が中古車展示場として使われていたこともありました。
周辺の住宅地にもオールド・エアポート・エステートやカラン・エアポート・エステートなどの名前が付けられ、飛行場だった頃の名残が見られます。かつて滑走路だったオールド・エアポート・ロード沿いにMRTサークルラインのダコタ駅があり、その近くにダコタ・クレセントという名前の道がありますが、これもカラン飛行場にゆかりがあるもの。1946年6月、ダコタ(Dakota)の名称で知られる英国王室空軍所属のダグラスDC-3機が悪天候の中カラン飛行場で事故を起こし、搭乗していた20人全員が帰らぬ人となってしまいました。道にその名が付けられたのは、歳月が流れてこの悲しい出来事を知る人が少なくなったとしても空の安全が守られ続けるように、という願いがこめられていたのでしょう。
旧カラン飛行場の未来形“オールド・エアポート・スクエア”
現在旧カラン飛行場は、5月15日まで開催中のシンガポール・ビエンナーレ2011の会場のひとつになっています。ターミナルビルはもちろん、正面玄関前の細長い庭園や、かつて各航空会社のオフィスが入っていたウィング棟、格納庫などに世界各国のアーティストによる現代美術作品や、地元シンガポールの小中学生が描いた絵などが展示されています。
ちなみに、英語で飛行機の格納庫を意味するハンガー(hangar)は、元々は北部フランスの方言で「家畜小屋」の意味。格納庫の製造メーカーであるREIDsteel社のウェブサイトでもその呼び名の由来が紹介されています。ビエンナーレ開催期間中に訪れる方は、“ハンガー”内に展示されたドイツ風納屋の作品をお見逃しなく。
旧カラン飛行場は、2008年に発表された都市再開発庁(URA)のマスタープランによると、これから10~15年かけて再開発される「カラン・リバーサイド」の一部である「オールド・エアポート・スクエア」として生まれ変わる予定です。ナショナル・スタジアム跡地に建設予定のスポーツ・ハブや既存のインドア・スタジアムなどと共にエンターテイメントやライフスタイルを提供する場になるとのこと。ターミナルビルやウィング棟、格納庫などの建物自体は保存されますが、その用途はこれまでとも全く異なったものになりそうです。
文= 石橋 雪江、写真=石橋 雪江
この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.187(2011年04月18日発行)」に掲載されたものです。