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熱帯綺羅

2011年4月18日

大英帝国随一のモダンなターミナル「旧カラン飛行場」

シンガポールでの飛行機の初飛行は今から100年前の1911年3月16日。それから20年ほど経った頃、当時水上機が使用していたセンバワン飛行場も、商用機や軍用機が使用していたセレター飛行場も手狭になったことから、より大きな飛行場の建設が海峡植民地総督のセシル・クレメンティ卿によって1934年に計画されました。町の中心にほど近く、水上機にも対応できるカランが飛行場建設に最適な場所として選ばれ、湿地帯だったカラン一帯の埋め立てを行うところから工事が始められました。

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旧カラン飛行場のターミナルビル。アール・デコ調のシンプルな建築スタイルは、1930年代当時にはかなり斬新だった。

1937年6月12日、クレメンティ卿の後任で海峡植民地最後の総督シェントン・トーマス卿の下でシンガポール初の商用飛行場、カラン飛行場が開業しました。ターミナルビルには円筒形でガラス張りの管制塔が建物の中心部に配され、1930年代に建築においても流行していたアール・デコ調の幾何学図形をモチーフにしたデザインが施されました。無駄な装飾を排し、シンプルで機能性を追及したそのモダンな建築美から“大英帝国随一の飛行場”と賞賛されたといいます。女性初の世界一周飛行挑戦中だったアメリカ人パイロットのアメリア・イヤハートも開業したばかりのカラン飛行場に立ち寄り、奇跡のように素晴らしいと称えたとか。当時シンガポール~クアラルンプール路線の料金は、片道30ストレーツ・ドルでした。

第二次世界大戦中の1941年12月から翌1942年1月にかけての日本軍によるマラヤ・シンガポール侵攻の際は、爆撃により敷地内にも大きな損傷を受けました。後に日本軍が接収し、長さ5,500フィート(約1,676 メートル)のコンクリートの滑走路が建設されて、戦争中は多くの軍用機がここから飛び立って行きました。

終戦後、商用運行が再開され、飛行機の大型化に伴って延長された滑走路はマウントバッテン・ロードを越えて現在のオールド・エアポート・ロードにまで達しました。飛行機が発着する度にマウントバッテン・ロードを通行中の車は長い信号待ちをする羽目に。更なる滑走路の延長も困難であったことから、1951年に新たな空港の建設が決定され、1955年8月、パヤレバに新空港が開業すると同時にカラン飛行場はその幕を下ろしました。

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飛行場の敷地入り口にあるゲート。70年以上風雨に晒されてきた歴史を感じる。

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1994年に改修された際に復元された飛行場のエンブレム。

 

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