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熱帯綺羅

2011年9月5日

シンガポールを駆け抜けた「革命の父」と「建国の母」孫文と梅屋庄吉

1911年の辛亥革命から今年で100年、その立役者・孫文は、日本でも「革命の父」として知られています。

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大正3(1914)年3月に東京で撮影された孫文と梅屋庄吉夫妻の写真。梅屋夫妻の曾孫である小坂文乃氏(日比谷松本楼常務)が所蔵。

清代後期の1866年11月12日、孫文は広東省の客家の農家に生まれました。1879年に兄を頼ってハワイに行き、現地校に通って英語を習得、西洋思想に目覚めました。3年後に帰国し、香港で医学校に入学。卒業後広州に診療所を開設しましたが、一方で孫文の関心は清仏戦争(1884〜85)の頃から政治へと向かっていました。欧米の列強諸国に蹂躙されているにも関わらず政治は腐敗、民衆からは重税を搾り取り、自己保身に走っていた満州族の清王朝を倒さなければ、漢民族が大多数を占める中国の民衆の暮らしは良くならないと考え、1894年、ついに医業を離れてハワイで革命団体「興中会」を組織します。翌1895年12月に広州蜂起を起こすものの失敗し、日本へ渡って、孫文の亡命生活が始まりました。

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シンガポール切手博物館では世界中で発行された孫文の切手コレクションを展示中(9月18日まで)。

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生誕140周年を記念して香港で発行された孫文の切手。(シンガポール切手博物館提供)

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