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熱帯綺羅

2015年8月3日

多国籍の現代女性に愛される プラナカンのお家芸ビーズ刺繍

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ビビさんが作り上げた伝統的衣装で、かつてのプラナカンたちの結婚式を再現。

シンガポール建国よりはるか前、15世紀後半にマレー半島にやってきた中国系移民の子孫「プラナカン」。彼らによって築き上げられてきた華やかなプラナカン文化の象徴ともいえるのがビーズ刺繍です。かつて「ニョニャ(娘惹)」とも呼ばれたプラナカン女性たちの花嫁修行のひとつだったビーズ刺繍。プラナカンの家庭ではニョニャたちがビーズ刺繍を施したタペストリーやスリッパなど、きらびやかなインテリアで溢れていたといいます。

良妻賢母の証だったビーズ刺繍

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ニョニャのビビさん。アンティークコレクションなどに囲まれながら、日々作品作りに励んでいる。

「ビーズ刺繍は大変忍耐のいる手仕事です」。そう語るのはプラナカン建築が今も多く残されているカトン地区でプラナカン雑貨店「Rumah Bebe」を営むニョニャのビビさん。案内された部屋には、まさに忍耐の賜物とも言える極小ビーズが精密に縫い込まれたアンティークコレクションがずらり。当時ヨーロッパからもたらされた宝石のようなこのガラスビーズは直径1mm以下。これを何千、何万個と1本の刺繍針で縫い付けていくのは気の遠くなるような作業です。「素晴らしい作品を仕上げたニョニャは、何においても忍耐強く良妻賢母になれる証として、より良い縁談がきたものです」とビビさん。結婚式当日は皆、自らが縫い上げた輝くビーズ刺繍の花嫁衣装に身を包んで誇らしげに嫁いでいったといいます。
しかし、第二次世界大戦でプラナカンたちも富を失い、彼らの豪華なライフスタイルが失われる中で、ビーズ刺繍の技術も急速に廃れていきました。女性の社会進出が盛んになり、花嫁になることだけが女性の道でなくなったこともニョニャたちのビーズ刺繍に対する関心を薄れさせることになりました。「時代遅れのファッション」として、所有していた服や靴を捨てる人も多く、ビビさん自身もそれまでビーズ刺繍は「古臭い」ものとして興味がなかったといいます。

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