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熱帯綺羅

2013年5月6日

シンガポールを見下ろす700年、「フォート・カニング・ヒル」の今昔

 

リーダーにビジョンをもたらし、司令塔となった近現代

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ラッフルズ卿はこの丘を「シンガポール・ヒル」と呼び、丘の周囲のジャングルを切り開いて、マラッカ海峡からシンガポール川を見渡せるこの素晴らしい場所にバンガローを建てました。後に総督邸宅となるここから都市計画を考え、マレーのリーダーたちと領土の借用権に関する話し合いを持ったり、祝典などの行事が開催されました。

 

 

その後、イギリスの貿易拠点としての利権を守るために軍の所有物となり、1860年に頂上付近の土地がならされ、地下に火薬庫もある銃や追撃砲が備えた城塞となりました。港が見渡せて各国の船の往来を確認することができたこの丘には、その情報を知らせる旗ざおや灯台、報時球などが設置され、人々の交信センターとしての役割も果たし、「フラッグ・ヒル」や「ガバメント・ヒル」とも呼ばれていました。

 

 

スクリーンショット 2015-07-02 12.42.461920年代に要塞として一層強化がはかられた頃、インド総督だったロード・チャールス・ジョン・カニングの名をとって「フォート・カニング・ヒル」と名付けられました。総督邸は撤去され、インドおよびヨーロッパ兵士の兵舎、病院、火薬庫などが建てられた後、城壁で囲まれたといいます。現在もフォート・ゲートという門と城壁の一部が残っています。第二次大戦中、日本軍によるシンガポールの攻撃が始まり、軍の司令部が置かれましたが、実際ここから攻撃や防衛の為に砲火が放たれた事はありませんでした。現在フォート・カニング・ホテルとなっている1926年に建てられたコロニアル様式の建物は、イギリス軍極東指令本部として使用され、第二次大戦の1942年〜45年の日本軍による占領時は、日本軍が駐屯したこともあります。

 

 

屋外イベントが随時開催されているフォート・カニング・グリーンと呼ばれる広い芝生の斜面は、その周囲を囲む壁に埋められた数々の墓石からわかるように、以前はキリスト教徒の墓地でした。200年近くも前、夢や野望を持ってはるばるやって来てこの地で永眠についた人々のそばで現代の我々が憩うなど、あちらこちらで今昔が行き交うのがこの丘の特徴。往時と変わらぬ熱帯の濃い緑と鳥たちのさえずりに囲まれ、シンガポールの歴史の小宇宙がここにはあります。

 

 

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Fort Canning Park

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51 Canning Rise Singapore 179872

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.233(2013年05月06日発行)」に掲載されたものです。
文= 桑島千春
写真=Eugene Chan

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