シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX熱帯綺羅TOP時代を受け入れて1世紀。エメラルドヒルの佇まい

熱帯綺羅

2014年4月21日

時代を受け入れて1世紀。エメラルドヒルの佇まい

スクリーンショット 2015-07-01 14.24.43

シンガポールを代表するファッション地区、オーチャード・ロードの一角にエメラルドヒルはあります。旧イギリス植民地時代にビジネスで成功したプラナカン(マレー半島に渡った中国人と地元女性夫婦の子孫)たちが多く暮らした場所で、1920年前後に建てられたチャイニーズ・バロック様式と呼ばれる2、3階建てのテラスハウスが軒を連ねて数多く残っています。エメラルドヒル・ロードとオーチャード・ロードの交差点付近は、テラスハウスの外観を活かした個性的なバーが並んで賑わいますが、80mほど奥へ進むと今でも市民が暮らす居住区があります。西洋風の洒落た化粧しっくいや窓枠、また中国語の扁額(へんがく)などを掲げた外壁が美しく、20世紀前半の古き良き時代を偲ぶ街並みが見られます。

 

プランテーションが高級住宅街となるまで

スクリーンショット 2015-07-01 14.24.55この一帯は、旧植民地政府の郵便局長だったウィリアム・カッページが1837年から所有し、クローブ(丁子)のプランテーションを経営したのが始まり。その後、栽培の失敗や倒産などにより、13へクタール以上の広大な土地は地主を変えながら分譲されました。1901年にエメラルドヒル・ロードが敷かれてからテラスハウスが建ち並ぶ住宅地となり、数軒あった大型のバンガロー(一軒家)は道路整備や学校設立のために壊され、今に残るものはありません。
シンガポールの一流校ラッフルズ・インスティテューションの元校長R.W.ヒューレットの名をとったヒューレット・ロード、旧植民地政府高官のチャールズ・ジェイムズ・サンダースにちなんだサンダース・ロードの付近も開発され、高級住宅街としてのエメラルドヒルになっていきました。1990年代以降、周囲に高級コンドミニアムの建設が進む中で、保存地区に指定され、地価は現在まで上昇の一途をたどっています。

 

おすすめ・関連記事

シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX熱帯綺羅TOP時代を受け入れて1世紀。エメラルドヒルの佇まい