シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX求人TOP「金の卵」そして「人材投資」(1)

Employer's Voice

2010年5月3日

「金の卵」そして「人材投資」(1)

キヤノン・シンガポール ダイレクター&ジェネラル・マネージャー 神垣幸志 販売・サービス

筆者が若年のころ人材の価値を表す社会用語に「金の卵」という表現があった。使われ方は、例えば、新聞の社会面に「金の卵の中学卒業生が昨日集団就職で上野駅に着きました。」といった記事が掲載されたり、あるいは、入社式の社長訓話において「諸君は我社の金の卵である。我社の一員として大いに社業の発展に寄与して欲しい。」といった感じの使われ方であったように思う。

ところが、あれほど新聞の社会面を賑わしていた「金の卵」という社会用語を見かけなくなって幾久しい。なぜ日本社会から「金の卵」が消えてしまったのだろうか。「金の卵」は、当初農村地帯から都会へ集団就職をする昭和40年前後の高度経済成長を支える中学卒業者を中心とした働き手を意味した。

 

その後、「金の卵」の範疇は拡大し、次第に高校卒業者も意味するようになり、後期には高専卒業者や大学卒業者の一部も意味するようになった。その後期「金の卵」時代に冒頭に紹介した「社長訓話」が登場した訳である。

 

このように「金の卵」の範疇は徐々に拡大していったが、その時代、経営者が考えた「金の卵」の定義は常に一貫していたように筆者は思う。「金の卵」は、それを生み出す「鶏」には関係なく、明らかに「鶏」の飼い主である経営者が利益の享受者であった。利益は対投資効率が高いほど当然大きくなる。したがって、当時の「金の卵」と言われた人材は、「即戦力」として限られた初期教育で業務に従事することを求められ、その後も大きな教育投資不要で労働を継続する「資本財」と同様の存在であった。高度経済成長が近代工業化の発展過程であった以上、「金の卵」に代表される定型業務を正確に忍耐強くこなす人材は、工業化社会の中でこそ、もて囃される従業員像であったのだろう。そして「金の卵」をもて囃す当時の社会と企業の姿からは、能動的に経済に働きかける「知識労働者」の姿は影形もない。

 

あれは「金の卵」を紙面から見かけなくなった時代に前後してだと思うが、「人材投資」という言葉が代わりに経済紙の紙面を賑わすようになってきた。そして「人材投資」と前後して流行り始めた「自己投資」という社会用語があったように思う。例えば「投資」を筆者の手元にある何でも明解に説明してくれる新明解国語辞典に当たってみると「利益を見込んで事業に資本を出すこと。」ついでに「投資信託」の項も読んでみると「多数の投資家から募った比較的零細な資金を集めて能率的な投資をした利潤を、みんなで分け合うこと。」と明解に説明してある。この説明から類推するに、「投資」には「能率的にお金を投入して効率的に利潤を還元する。」という意味が含まれるように思われる。

 

であるならば、この「投資」をキーワードとする時代の社会形態においては、すべからく労働者は能率的に働き効率を最大化すべく企業収益に貢献することが求められていることは、ここまでの推論で明らかであろう。

 

ここで能率よく仕事を推進し、効率よく企業収益を最大化する働き手には、少なくとも下記人間特性が求められると考えられる。

  1. 会社における自己の立ち位置と周囲の状況を認識し、その環境下での役割を自覚する能力を持っていること。
  2. 役割を自覚出来たならば、当然、自ら積極的に進んで仕事を引き受ける自発性を備えること。
  3. ただし、作業能率を考えると、それらの仕事は自治の精神により、自己を律して自己管理の下、推進されるべきである。

 

じつは手前味噌的表現で恐縮だが、これが弊社の社員全てが創業者より求められてきた“三自の精神”であると筆者は理解している。「自覚」した人間は「自発」的に行動し「自治」によって管理される筈である。そのような働き手が主力を成す企業においては、業務プロセスは業務に従事する社員自身によって能動的に改善され続け「作業能率」は向上し、「能率」が向上すればコストは下がり、したがって利潤は最大化して効率が改善される。そして、そのような従業員によって会社が構成されることを弊社では創業時より理想としてきた。では情報化社会における能動的従業員像はどの様にあるべきなのかを次回に論じよう。

(次号に続く)

 

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.166(2010年05月03日発行)」に掲載されたものです。

おすすめ・関連記事

シンガポールのビジネス情報サイト AsiaX求人TOP「金の卵」そして「人材投資」(1)