コラム

真の日本人でありたい

明日のない人たち(1)

私がミャンマーで治療を始めてからずっと悩んでいたことがありました。それは、果たして私がここで治療するとき、この国に無いような高価な薬や特別な治療を持ち込んでやっていいのだろうか。また、果たして一人の患者にどれくらい薬やお金を投入していいのだろうかということでした。
ある時、私が週1回訪問している診療所に全身の何個所も穴があき、そこから膿が噴出している20歳くらいの男性がやって来ました。聞けば、人ちがいの末、お腹を刺され手術を受けたそうです。しばらくして、あるところから膿が出始め、その個所が増え、伝統医療によって治療していました。しかしよくならず、村長さんが村の近くに週1回、日本人の医者が来ているので、見てもらったらどうだとすすめたそうで、牛車に乗せられてやって来たそうです。私は診察をした後、約1週間分の薬を残しました。薬代は私たちも出していましたが、長期になる場合、1人にあまり多くのものを集中的に使うわけにもいきませんので、できるだけ本人やその家族から薬代を出せる範囲で出してもらっていました。そして3週間ほど診たときのことです。彼の父親が私のところへ来て、こう言いました。「長い間ありがとうございました、村の人たちも寄付してくれやってきましたが、もうお金もなくなってしまいましたので、村へ息子を連れて帰りたいと思います」と。私は、再び決意を迫られました。このまま彼を見捨てて村へ返していいのだろうかと。このとき私は考えました。私の力とは一体何だろうかと。そして結論を得たのでした。私の力とは、自己の医療レベルのみならず、この地で支えてくれているスタッフたちのレベル、持っている薬やお金、日本で私を支え続けている人たち、これら全てを以ってして私の力と言うのではなかろうかと。ならば、お金や薬を患者のために使うのに一体に何の迷いがあろうか。ましてや一期一会、この患者に明日はなく、他の治療は受けられない。目の前の患者に全てを尽くさなくては、医者はその存在を失う。私は、彼とその父に、こう言いました。「これから先は全て私に任せ、家に来て入院してください」車に彼らを乗せて事務所に連れて帰りました。そして、彼とその家族には、私の食料から食べ物を分け与えました。数カ月の闘病の後、結局彼は帰らぬ人となりました。しかし、私に医者と患者は、過去、未来に縛られる事無く、円を描くように、今完結しなければならないと言う事を教えてくれた患者でした。

国際医療奉仕団ジャパンハート代表 吉岡秀人

文=吉岡秀人

国際医療奉仕団ジャパンハート代表。1965年8月大阪生まれ。大分大学医学部卒。
大阪、神奈川の救急病院にて勤務後、1995年から1997年までミャンマーにて医療活動に携わる。1997年帰国後、国立岡山病院小児外科勤務。2001年から2003年3月まで川崎医科大学小児外科に勤務。2003年4月よりミャンマーにて再び医療活動に従事する。2004年4月国際医療奉仕団ジャパンハートを立ち上げる。

国際医療奉仕団ジャパンハートホームページ
記事に関するお問い合わせは、ジャパンハートシンガポール 9791-3410(岡崎)まで。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.010(2004年09月06日発行)」に掲載されたものです。
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