コラム

真の日本人でありたい

心に残った患者さんたちのこと(2)

私の医療技術からしても、あらゆる病気を一人で治療できるわけではありません。これはちょっと無理では、と思うようなこともしばしばでした。ある時、足の甲とすねの全面がひっつき、かかとで傾きながら、杖をついて歩く20歳の女性がやって来ました。幼少時に蛇にかまれて皮膚が溶けこのような形になったのだということです。左右の足の大きさは明らかに違います。それはもう長い間、彼女の足がこのような状態だった事を意味しています。この足を治してほしいとやって来たけれど、これはちょっと無理ではないかと躊躇しました。そして彼女と家族にこう告げました。「足のレントゲンを2枚とってきてください」レントゲンを何枚もとるのは、収入の少ない農家の人々にとっては決して簡単ではありません。ですから私は、諦めてもう来なくなってくれたらよいと、内心思ったわけです。しかし1週間後、その村へ行ってみると彼女が2枚のレントゲンを抱えて待っているではありませんか。この期に及んで、私は決断せざるを得なくなりました。
簡単な手術ではありませんでしたが無事終了し、彼女は家族に抱えられながら毎日消毒に通っておりました。しかし、その途中で私は帰国する事になり、その後彼女がどのようになったのかは分かりませんでした。数年後その地を再び訪ね、思い出して彼女の話をしたところ、最近歩いてここに来たということでした。私も嬉しく、彼女に会おうと思いましたが、すでにヤンゴンの工事現場で働いているということでした。
また別の村に行ったとき、70歳くらいのお婆さんがタバコをくわえながら私の診察を待っていました。診察すると頬のあたりに皮膚癌ができて悪臭を放っています。家族や孫が、悪臭が原因で一緒に食事もしないそうです。私は大きな町へ行って手術をする事を薦めました。するとお婆さんは「お金もないし、もし治療できないのなら、もうこのまま村へ帰って死んでいくつもりだ」と私に言いました。私はこのお婆さんの手術をすることになりました。皮膚癌を大きく切除し、首に転移した大きなリンパ節も切除し再び植皮を顔に行いました。そして2〜3カ月は再発もないまま経過しました。
その後彼女は現れませんでしたから、どうなったかは分かりません。再発したかもしれませんが、それは神様が彼女に与えた時間だったのかもしれません。

国際医療奉仕団ジャパンハート代表 吉岡秀人

文=吉岡秀人

国際医療奉仕団ジャパンハート代表。1965年8月大阪生まれ。大分大学医学部卒。
大阪、神奈川の救急病院にて勤務後、1995年から1997年までミャンマーにて医療活動に携わる。1997年帰国後、国立岡山病院小児外科勤務。2001年から2003年3月まで川崎医科大学小児外科に勤務。2003年4月よりミャンマーにて再び医療活動に従事する。2004年4月国際医療奉仕団ジャパンハートを立ち上げる。

国際医療奉仕団ジャパンハートホームページ
記事に関するお問い合わせは、ジャパンハートシンガポール 9791-3410(岡崎)まで。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.009(2004年08月30日発行)」に掲載されたものです。
前の記事

真の日本人でありたいトップページ

次の記事

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメント

この記事に関するコメントを投稿

ページの先頭に戻る