コラム

Eis園長先生の教育談議

非常識

入園初日の泣いている子どもと同じ目線で外や天井を眺めました。近くに立つ保育者はとても大きく、天井は高く、外はとても広く感じました。目線を少し下げただけで、見える世界がとても違うのです。当然、感じ方もまったく違うのです。大人の目線で大丈夫だよ安心しなさいと言っても子どもには通じません。子どもにとっては頭のはるか上から聞こえてくる信じるに値しない声としてしか捕らえられないでしょう。目線を子どもに合わせ、見える世界を共有してからでないと信頼も安心も生まれないのです。


結婚して22年が経ちますが、やっと妻と自分は違うということに気づきました。何であんな行動をとるのか?何でこんなことも分からないの?当然自分と同じ感じ方、見え方をしているものと信じていますから怒りがこみ上げてくるのです。


人と人が関わりを持つ時、理解し合いたいと思います。理解し合えなければ作業は進みませんし楽しくありません。その理解の第一歩は自分と相手が違うということを認識することから始まるのではないでしょうか。はじめに共通点ばかり認識し合い、分かり合えたと思っていると、後になって違いに気づき「裏切られた。」とか「だまされた。」となるのです。相手は違う見え方、違う感じ方、違う表現の仕方であることを知っていなければ理解しあうことは難しいのでしょう。


日本人会の会報にホーランドクラブ内のレストランで日本人グループの子どもが走り回り雰囲気をかき乱している、との注意が促されていました。恥ずかしいことです。たくさんの人が集まる場所ではそれぞれの持つ常識は違います。同じ人でも場面、状況によっても変わってきます。それを許容範囲内で収められなくなると「非常識だ!」という怒りやクレームになるのです。許容範囲の限界はどこでしょう。子どもたちが走り回り迷惑をかけていることを十分に理解できるのに何もしない親に、ホーランドクラブの人たちは許容範囲を超えていると感じたのでしょう。分かっているのに分からないふりをする、これこそが非常識なのです。違いを理解した上で、相手や周りを思いやる気持ちが良い人間関係を作るのだと思います。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.132(2008年10月20日発行)」に掲載されたものです。
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