コラム

Eis園長先生の教育談議

損得勘定

耳を疑うような事件が新聞を賑わしています。親、教師、コーチなど子どもの成長のために努力するべき人間が子どもの心を体を傷つける。守るべき者が守らずに傷つけてしまうのであれば何も信じるものは無くなり社会は成立しなくなります。ごく身近でも大人の自分勝手な無責任な判断が子どもを苦しめています。


刑務所の中でも老人や子どもを対象とした犯罪を犯したものは他の受刑者から馬鹿にされて肩身の狭い思いをするといったことを聞いたことがあります。どの世界にも、卑怯なこと、ずるいことは最も恥じるべきものとして扱われていたように思います。しかし最近は、「勝ち組負け組み」「国益主義」「格差」「富裕層」「負け犬」などの流行言葉で象徴されるようにどんなことをしても利益を得ることを正しいとした考えがはびこっているように思います。本来、人と人がかかわっていく社会では損得勘定よりも人としてあるべき姿が優先されていたはずです。困っている人を無視する。最低です。しかし今はその最低を越えその困っている人から更に巻き上げる。そうしてでもお金を得たほうが勝ち。このままでは日本の未来は恐ろしい。「いったい誰の責任だ!!」政府の方針が悪い、政治家がふがいない、でもその政治家は自分たちの投票で選ばれている。ましてや、そのことに声を上げないことは認めたことと同じ、私たちも共犯者なのです。


「今の日本人は欲望はあるけれども希望を持っていない。」と言った方がいます。希望を持てない社会で子どもたちが幸せに成長するはずがありません。希望を持てる社会、それは、ああなってみたい、こうなってみたい大人がたくさんいることではないでしょうか。つまり、かっこいい大人が少なくなったのでしょう。子どもたちが見ているのです。その決断、本当にそれでいいのですか。何のためにここにいるのか、何をするべきなのか。もう一度、自分の子どもの前で胸を張ってかっこいい決断が出来ているか考えてみたいと思います。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.124(2008年06月16日発行)」に掲載されたものです。
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