コラム

Eis園長先生の教育談議

親思う心に勝る親心(2)

父の亡くなる2日前、家族でお肉を食べに行きました。肉好きの父には珍しく3分の1ほど残し私に食べろと言います。「珍しいね、お父さん。ありがたく頂きます。」喜んでその肉を食べ、父も満足げでした。それから2日後の早朝亡くなりました。「お父さんが最後にしてくれたプレゼントだね。」母がそのことを思い出し言いました。自分も「本当にそうだな、最後の晩餐だったな。」なんて軽く思っていました。しかし、つい先日息子と散歩中にふとその時のことを思い出し、もしも、父が自分で肉をあげた相手が息子だったらどんなであっただろう。自分の大好きな食べ物を目の前の息子に与える。どんなに愛しい気持ちだったろう。どんなに嬉しかったであろう。どんなに満足したであろう…。言葉にならない気持ちが次から次へと湧き上がってきました。「親の気持ち子知らず」本当にそのとおりだと思います。昔の日本は大家族が基本でした。言葉に出さなくても、祖父が父を愛しく大切に思う姿を目にする機会がたくさんあったのです。しかし、核家族化してしまった現代はその事を目にすることは無く、親の思いを子どもに伝える機会は本当に限られているのです。私も自分の子どもが生まれるまで、父が自分を愛しているなどと感じたことも思ったことも殆ど無かったのです。特に父は口下手であまり感情を表に出すことはありませんでした。
なぜ子どもを叱るのですか。憎くて叱る親はいません。「そんなことでは、自分がだめになってしまうよ。もっと幸せになるためにはここをきちんとできるようにならなくては後で苦労するよ。」子どもの未来を心配して親は子どもを叱るのです。愛しいからこそ叱るのです。大切に思っているからこそ叱るのです。しかし、その一番肝心なところが伝わっているでしょうか。以前、頭ごなしに叱ったときの子どもの冷たい目、その中に自分の昔を見ました。叱るだけでは何も伝わらないのです。「君のことが一番大切なんだ。愛おしいんだ。」このことをきちんと伝えましょう。それからどうしたら良いか、楽しくなるか、幸せになるか。子どもの話も聞きながら一緒に考えましょう。きっと分かり合えます。がんばりましょう。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.110(2007年11月19日発行)」に掲載されたものです。
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