コラム

Eis園長先生の教育談議

子どもの未来に期待するもの

豪華客船タイタニック号が沈没した時の話です。人数分の救命ボートが無く、女性と子どもを優先させなければなりません。何と言ったら男性が諦めてくれるだろうかと考えました。イギリス人には「ここで潔く諦めてくだされば皆があなたを英国紳士と称えますよ。」アメリカ人には「ここで潔く諦めてくだされば皆があなたをアメリカのヒーローと称えますよ。」さて、日本人には何と言ったらよいか。「皆さんそうしていますよ。」なんだか痛いジョークです。
今、確信を持って言えることは、他人の子どもと比較した瞬間に親も子どもも不幸になると言うことです。もしも、顔の丸さを端から並ばせあなたのお子さんは真ん中あたりだから大丈夫、真ん中から上下20%を普通とし、それ以外は標準外として発表されたらどんな気持ちになりますか? こんな何の意味も無いことでも、その標準からはずされたことはとても嫌な気分になります。「知るべきことが大海ほどあるのならば、全人類の知識はその一滴にも如かない。」パスカルの言葉です。しかも、比較しているものは何千何万とある人間の能力の中のほんの少しだけです。「普通は…。」「みんな…。」「ほとんどの方は…。」怖い言葉ですね。特に子どものこととなるとドキドキしてしまいます。「少し標準から外れています。」なんていわれてしまうと「それはたいへんだー。みんなと同じようにやらなくては、あれもこれもそれもやるぞー。」となってしまいます。どこの標準に向かっているのでしょうか? もう一度よく考えてみたいと思います。
子どもの将来に何を期待しますか。子どもの頃、親が自分に期待するものはよい成績を取り、人から褒められることだと思っていました。親になってそれが間違いであることに気づきました。夢を持って欲しい。生き生き楽しく自分らしく生きて欲しい。他人のスケールで計られた価値基準に惑わされず、20歳や30歳になった時に幸せに自立して欲しいのです。そのために何を伝えていかなければいけないのでしょう。何が出来るのでしょう。まずは大人が目的を明確にし、真剣に考え、自信を持って行動することが大切だと思います。輝く子どもの未来のために。そして、豊かな老後のために、真剣に考え、悩む必要があると思います。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.104(2007年08月20日発行)」に掲載されたものです。
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