親の悩みの殆どは子どものこと、その殆どは他の子どもと比べて、「遅れているのではないか、」「劣っているのではないか、」「違うのではないか」この種の心配です。その場合よく使われる言葉は「普通のお子さんは……。」「優れてなくてもよいのです。普通より少し上で……。」長年たくさんの数の子どもたちを見ていますと、どのお子さんも集合体で見ると普通ですし、一人一人見れば普通ではないのです。(千差万別、誰一人として同じではないのです。)「どこの部分が普通よりも劣っていると思いますか。」と尋ねると。A君の積極性、B君の穏やかさ、C君の素直さ、D君の意志の強さ……。さて、これら全てを兼ね備えた普通の子どもは存在するのでしょうか。どこにもいない普通の子どもが、親の思いの普通の子どもになってしまいます。「あの子と比べてあれも足りない、これも劣っている。」と引き算で子どもを見るのではなく。「これも出来た。あれも出来た。」と足し算で子どもを見たいものです。
集団生活をコントロールしようとする側にとって、都合の良い子、悪い子、普通の子は存在します。先生の言うことを率先して聞き、他のお友達をリードしてくれる子、これは良い子です。保育者や良い子の言うことを受け入れ従う子、これは普通の子です。誰の言うことも聞かず、今やってほしくないと思うことを次から次へと見つけ出し、全体の進行の邪魔をする子、これは悪い子です。あくまでも保育者本位でひとつの方向へ導こうとした時の場合です。しかし、子ども本意に考える見方はだいぶ違います。色々な子どもがいることが子どもの感受性や創造力を豊かにします。先に述べた良い子ばかりの集団があったとしたらそれはあまり楽しそうな集団とは言えず、精神的な成長もあまり望めるとは思えません。大人にとって都合の良い子ではなくその子どもの幸せに都合の良い子になってほしいです。
1つの或いは狭い価値観しか持てず、同じ価値観でないものを馬鹿にし、排除しようとする気持ちこそが不幸の原点だと思います。まずはたくさんの意見に耳を傾け、受け入れ、次に自分の判断で選択をする能力を身につけてほしいと思います。そのために回りの大人も大人に都合の良い部分を褒め、都合の悪いことを叱るのではなく、一人一人の子どもが自分で考え判断すること、自立向かうことを褒められるようになりたいと思います。
文=峯村敏弘(Eisインターナショナル プレスクール園長)
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