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2015年3月2日

「課題先進地・東北と世界をつなげたい」 世界11ヵ国の留学生と東日本大震災の被災地にスタディツアーへ

デニス・チア氏

昨年80月、日本に留学中のデニス・チアさんは、同じく日本で学ぶ海外からの留学生たちを集めて、宮城県南三陸町の被災地を訪れるスタディツアーを開催した。ウェブサイトでの彼の呼びかけに多くの人が応え、資金の約40万円をクラウドファンディングで調達した。東日本大震災から間もなく4年となる。日本を愛し、被災地支援活動を続けているシンガポール人が見た震災や日本、今の東北について、話を聞いた。

 

― 震災の当時はどこで何をしていましたか?
2011年3月当時は早稲田大の4年生になる前の春休みでした。震災後、何かできないかと、日本赤十字社に電話で問い合わせたりしましたが、特に何もできずもどかしい日々を過ごしました。アルバイト先もお客さんが来なくてすることがなく、1週間後にはシンガポールに一時帰国しました。空港は帰国する外国人で大混雑で、「日本はもう終わりだ」とかいう声が聞こえてきました。自分に夢を与えてくれた国が酷い目にあっているというのが悲しく、切なかった。親戚や友人には止められましたが、自分が何かしないと納得いかないという気持ちで、友人で慈善活動をしている画家と一緒に、3月末には再び日本に戻って「夢のプロジェクト」というボランティア活動を始めました。知り合いだった先生の助けを借りて、都内や1999年に大地震のあった台湾の小学校を訪問し、子供たちに夢を絵に描いてもらい、それを励ましのメッセージとして福島と岩手の被災地の子供たちに届けました。

 

― 昨年のスタディツアーのきっかけは?
その後もがれき撤去のボランティアなどで被災地は何度も訪れていました。しかし、大学を卒業して就職していた時は忙しさで考える余裕がありませんでした。大学院への入学を機に、昨年、もう一度被災地に行かなくてはならないと思うようになりました。

 

― スタディツアーで外国人が被災地を訪問する意義とは?
被災地の情報は、今はインターネットでいくらでも知ることができます。しかしほとんど日本語。留学生が実際に現地を見れば各国の言葉で周りに発信することができるのではと思いました。また、日本語の情報も多くは我々外国人の興味があることとは違いました。例えば、震災当時どのように避難したか、あるいは震災前の東北はどうだったかというような、震災を振り返る内容の情報は豊富です。しかし、外国人が知りたいのは、「あれから4年」ではなくて、日本が「これからの4年」をどうするのかということだと思ったんです。実際にボランティアやツアー前の視察でも、前向きに活動している被災者が多かったのですが、そうしたニュースは少ないと思いました。

 

― ツアーはどんな内容になりましたか?
1泊2日の短い日程でしたが、11ヵ国の11人と一緒に宮城県南三陸町を訪問しました。一番のこだわりは「振り返りながら前を向く」ということ。ポジティブに活動をしている人たちを訪ねました。震災後に電子部品だけでなくハンドバッグなどの製造販売を始めた「アストロテック」、震災直後は救援物資の調達や配布、今は農業で復興を目指している「O.G.A. For AID」、バイオガスなどのエネルギー事業を手掛ける「アミタ持続可能経済研究所」の方々にお話を聞かせていただきました。そして、宿泊したのはボランティアなどの受け入れをしている「南三陸まなびの里・いりやど」です。ここの方に、地元の方々の紹介などもしていただきました。

 

― ツアーで印象的だったことは?
私が一番心に残ったのはO.G.A. For AIDの代表のアンジェラさんのお話でした。彼女は日本生まれのアメリカ人です。震災直後に被災地に向かい、それから今までずっと復興支援活動をしているというのがまずすごいなと思いました。南三陸の主な産業は漁業ですが、港や漁船が破壊され、復興に相当時間がかかりそうな一方、休耕している荒地がたくさんあることがわかったそうです。そこで、多くのボランティアの手を借りながら、キュウリやトマトなどの栽培や仮設住宅での販売などを始めました。今では町で最大規模のキュウリ農家になり、雇用を生んでいます。また、若者や子供たちのために、英語のクラスなども開講しています。被災地に必要なものは何か、外部の人だからこそ客観的に判断できることもある。自分たちが目指している「東北と世界をつなげる」活動をしているなと思いました。

 

― 他の参加者はどんな感想を持ちましたか?
ほとんど皆、初めての被災地訪問でしたが、それぞれが違う観点から学ぶことがあったようです。例えば、防災を専門に研究している参加者は、被災した観光客や地元の人の避難所として活躍したホテルの重要性を感じたと言います。また、他の参加者のレポートでは、3年以上が経過した後も被災者の心のケアのサポートがまだ必要という感想もありました。さらに、「多くの自治体が似たような物産品を作り出している」と産業の復興に対して疑問を呈する意見などもありました。

 

― 被災地で、シンガポール人として何を感じましたか?
東北のような場所はシンガポールにない場所の1つ。より「現実に近い」という感じがします。シンガポールは人工的に作られた環境が多く自然も災害も少ない。自分にとっては東北の方が生きていると実感できます。自然と共に生きてきたという考えを大切にしていると感じます。スタディツアーの視察で初めて「里山」という言葉を知り、ものすごく面白いと感じました。今でも通用する概念だと思います。例えばエネルギーも昔は里山の環境の中から取り出した炭で賄っていた。外に頼らず環境の中で生きていくということは、日本が大事にしているリサイクルや分別といった仕組みや持続可能な世界という理念に通じていると思います。

 

― 「課題先進地」と東北を表現されていましたね
ツアーで訪れた南三陸町には、本当に人がいないという感じがしました。街を歩いていても誰にも会わない。日本は少子高齢化や過疎など元々色々な課題を抱えていて、東北の被災地ではそれがさらに進んでいる。しかしその一方で、地域の文化を守り、発展させようとしている人々がいる。私は大学時代に日本各地を旅行して、伝統工芸や産業など文化を守る活動をしている人々に出会い感銘を受けました。人がいなくなってはこうした文化も守れずに、なくなっていく。そうした後の世界はどうなってしまうんだろうと考えます。シンガポールも、経済最優先で文化が消えていく。例えばホーカーセンターも後継者不足で、50年後にはこの文化がなくなってしまうのではないかと言われていますよね。被災地を訪問することで、こうした課題への解決策が見つかるのではないかと思っています。

 

― 今皆に知ってほしいことは何ですか?
被災地を代弁するようなことを言うのは難しいですが、自信を持って言えるのは、現地の人はたとえ観光であっても、多くの人に来てほしいと思っていますよ、ということです。震災直後のボランティアでも「話したいことがいっぱいある」「これをみんなに伝えてほしい」「来てくれてうれしい」という声をよくかけてもらいました。今回のツアーの訪問先でも「被災地から帰る時に『またね』と言ってほしい」と。「また来ることを約束しますと言ってもらえるとこれからも頑張って活性化していこうと思える」と話してくれました。

 

― ボランティアやスタディツアーの経験で世界観はどう変わりましたか?
日本でのボランティア活動のために、シンガポール人の自分が台湾へ行く経験もしました。11ヵ国の留学生たちと一緒に被災地を訪問し、被災地で活躍している外国人にも会った。どこでも共通の思いがありました。被災地のために何かするというのは世界共通の文化で、世界はつながっているなと強く思いました。
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スタディツアーで訪れた宮城県南三陸町の「入谷Yes工房」。有志団体「南三陸復興ダコの会」が運営し、復興イメージキャラクターグッズの制作・販売などをしている。(写真提供:デニスさん)

デニス・チア(Dennis Chia)

1987年、シンガポール生まれ。13歳からMOELC(The Ministry of Education Language Centre)で第3言語として日本語学習を始める。
選んだきっかけは90年代後半ごろのシンガポールでのブームによりJ-POPが好きになったことだという。ジュニアカレッジ(日本の高校に相当)を卒業、ナショナル・サービス(兵役)を経て20歳で日本へ行き、2012年3月に早稲田大学国際教養学部を卒業。

 

nippon2014年10月より東京大学大学院情報学環・学際情報学府修士課程に在籍中。海外事情を紹介する日本のテレビ番組などにも出演経験がある。『日本人に思い出してもらいたいニッポン』(日・英)を自費出版した。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.275(2015年03月02日発行)」に掲載されたものです。
文=石澤由梨子

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