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2014年3月3日

塩害を乗り越え― 宮城・亘理(わたり)いちご農家の再出発

東北一のいちご産地、宮城県南部の亘理町・山元町。震災前の2010年産で出荷額33億円を誇っていた産地は、震災による津波・塩害で、380人いた農家の95%が被災し壊滅的な打撃を受けた。しかし、被災農家たちは農地を再建したり、新設の共同大型ハウス「いちご団地」を利用したりして再出発。約6割にあたる211人の農家が2013年11月、満を持して本格的な出荷再開を果たした。

「やっといちごに帰って来られた」。たわわに実ったいちごを手に取り、微笑む宮城県亘理町の農家、鈴木久男さん。収穫最盛期を迎える2月――。震災後初の収穫作業を迎え、箱詰めに忙しい。色、形を揃え、パックに手作業で収める。いちごは繊細。傷をつけてはならないと、宝石のように扱う。最も神経を使う作業だが、全く苦にならない。鈴木さんにとって3年ぶりのいちごの出荷作業だ。

 
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「いちご団地」のハウス内で色づく 「もういっこ」

「これからどうすべか」

Screen Shot 2015-05-19 at 10.27.27 pm2011年3月11日。長い激しい揺れの中、「津波が来る」と直感した。地元の消防団員として町内を奔走し、力の限り、「津波が来るぞ。高い所に逃げろ」と叫んで回った。黒い巨大なものがすぐそこまで迫ってくる。逃げ惑う人々を車に押し込み、必死で内陸に車を走らせた。間一髪で助かるも、翌朝、明るくなって初めて周囲の惨状を目の当たりする。「地獄かと思った」。だが落胆している暇もない。すぐに不明者・犠牲者の救出にあたった。

 

自宅は津波に流され、跡形もなくなった。仮設住宅に暮らし、がれきを拾ったり、崩れたお墓を直したり、日雇いの仕事を転々とする日々。8月のお盆過ぎから、現実を考えるようになった。「これからどうすべか」。

 

いちごを栽培するハウスはすべて流された。いちご農家は平均年齢70歳以上、元々の後継者不足も深刻だった。家や家族を津波に流された仲間らの腰は重い。機械や設備を揃える費用が莫大なことも大きかった。いちご農家の3分の1は復帰をあきらめ、また、この地を去った人もいる。いちご生産の再開など、まだ夢のような話だった。

 

汚泥の間から、いちごの葉

一方、そのころ既にいちご栽培を再開していた人もいた。同じ亘理町の宍戸孝行さん。昭和30年代初期から約50年、いちごを家業とする地元でも指折りの「いちご名家」だ。津波は自宅の1階を浸食、トラック2台、車3台、農機具は全て流された。荒廃したいちご畑を前に「途方に暮れた」。だが、ある時厚い汚泥の間から、いちごの新芽が伸びているのを見つけた。「いちご、強いもんだな」。震災後2ヵ月弱で家を修繕できたのも大きい。いちごを絶やしてはならないという使命感に突き動かされた。

だが、畑は、厚さ15センチ近くあるヘドロで覆われた。それに、海水に浸り、塩を含んだ土ではいちごは育たない。ヘドロまみれの土壌を掘り返し、水道水8~10トンをトラックで何度も運び、水を流し込んで土壌の塩分を抜く。これまでは地下水を利用していたが、原発事故による放射性物質への懸念から使用をやめた。作業には疲労困憊したが、ボランティアの人たちも手伝ってくれた。「どんなに感謝をしたことか」。多くの人の助けの中、2011年9月、元の場所でいちご栽培を再開した。鈴木さんら多くの農家はまぶしい思いでその姿を見つめていた。

 

希望の光「いちご団地」完成

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津波被害を受けた宮城県亘理町、山元町に完成した「いちご団地」(JAみやぎ亘理提供)

2013年8月、国などの復興事業で、待望の大型ハウス「いちご団地」が亘理町、山元町に完成。被災した農家151人が、34.8ヘクタールのハウス内で生産を再開した。農家はほとんどが高齢者。作業が立ったままできるようにと、これまでの土耕栽培から、高設ベンチ栽培方式が導入された。腰をかがめながらの作業から解放された農家たちは「作業がてんで(非常に)楽になった」と喜ぶ。ハウス内の温度も24時間制御。栽培に最適な8~12℃(冬期)の温暖な気温が保たれ、極寒でも温水パイプでいちごの株を直接温められる。生産工程も機械で管理できるようになった。

 

map宍戸さんは元の場所に加えて「いちご団地」にも参加。鈴木さんも、迷わず、復帰へ名乗りを上げた。「いちご産地は簡単に作れない。全国各地の皆さんからの支援があってのもの。それに応えるためにも相当の覚悟で作る」と鈴木さん。先発組の宍戸さんの存在も大きかった。「あきらめないでくれたから、バトンが続いた」。

 

「いちごに帰って来られたことに感謝」

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地元では「赤いダイヤ」と呼ばれる(JAみやぎ亘理提供)

2月、東北地方は78年ぶりの歴史的大雪に見舞われた。鈴木さんと宍戸さんが仕事をするハウスの中は、日射しと天井に残る雪が反射して、キラキラ光る。いちごの赤い果実と白い花の間をミツバチが飛び交う。

 

2人が生産しているのは「もういっこ」という品種。差し出されたいちごは、大ぶりで、つやつやと光っていた。口に入りきらない大きなサイズのいちごは、皮が柔らかいのにサクッと歯ごたえがあり、さわやかに甘い。ふんだんな果汁が、噛むたびに口からこぼれそうになる。甘くて「もう1個」食べたくなるようにとつけられたネーミング。なるほど。1個と言わず、2個、3個と手が伸びる。

もうすぐ、あの日から3年--。今シーズンは、鈴木さん、宍戸さんを始め、2町の211人(約6割)の農家がいちごを生産することができた。作付面積も55.5ヘクタールと、震災前の6割程度が復興を果たした。今も仮設住宅で暮らす鈴木さんは「苦じゃないと言ったら嘘になる。でも、いちごがあるから」。刻み込まれた顔のしわをくしゃくしゃにして微笑んだ。復興だけでなく、土壌の整備、高齢化する生産者の跡継ぎ問題など問題は山積みだ。でも、「まずは、いちごに帰って来られたことに感謝」。生きる糧を得た農家の再スタートは今、始まったばかりだ。

 

(※取材協力 JAみやぎ亘理 営農部 土生利仁さん)

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.252(2014年03月03日発行)」に掲載されたものです。
取材=野本寿子

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