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スペシャルインタビュー

2019年9月25日

「靴の美」を職人として 後世に伝えていきたい

靴職人・芸術家 三澤 則行

 シンガポールから靴職人を輩出したい――。そんな想いで2018年から3、4ヵ月毎に「靴」の作り方を指導しに来星している三澤則行氏。第33回 日本革工芸展で文部科学大臣賞を受賞。また、2010年国際靴職人技能コンテストで金メダルと最高賞である名誉賞を同時受賞するなど国内外で高い評価を受け、今や宮内庁や米ハリウッド映画界に製品を納めるまでに。また、ヨーロッパ修行を経て靴のアート作品の制作を開始。カンヌやニューヨークを始めとする世界各地において本来の靴の概念を覆す観賞用としての靴の個展を開催している。靴の中に「日本の美」を追求し、アートとして表現――近代アート界に燦然と登場した靴職人の三澤則行氏に話を聞いた。

 

 

―アーティストとしての原点についてお聞かせください。
どのような幼少時代だったのでしょうか。

 

 アート好きの母親の影響もあり、芸術に触れる機会が豊富にありました。そのおかげで自然と感性は磨かれたように思います。当時は、家にあるもののいろいろな絵をよく描いていました。その一環で靴の絵も描き始めたのですが、どうもうまくいかない。靴の持つ造形美をひしひしと感じるのに、それをうまく表現できなかった。なぜだろう、どういう構造なんだろうーー。そうなってくると、僕にとって靴は、もはや単なる歩くための道具ではなく、工芸品や鑑賞用のモノになっていた。想いはますます募っていき、中学生の頃には熱心な靴のコレクターになっていました。今思えば、靴の造形美に直感的に魅せられたこの子どもの頃の経験が私の今の活動の原点です。

 でも、靴職人や芸術家を目指して美術大学に通うなどは考えませんでした。親からもサラリーマンとして働くことが当たり前であり、芸術では苦労すると聞かされていたので、それに納得して普通の大学へ進学しました。

 

―靴職人への道に舵を切ったのはどういうきっかけだったのでしょうか。

 

 ちょうど就職活動を始めた頃ですかね。具体的に自分の将来を考えるタイミンングになり、自分と徹底的に対峙することになった。心の中にある「やりたいこととはなにか」という思いに改めて向き合いました。小さい頃から作ることが好き。特に魅せられている靴を作ってみたい。やりたいことだけを仕事にするなんて、自分はわがままなのか、と大いに迷いました。考え抜いた結果、靴メーカーやアパレルに就職するのではなく、自分の「小さな工房をかまえて、靴の魅力を伝えたい」という具体的なイメージにたどり着き、自分の気持ちが固まりました。

 そうと決めたら、まず親から許可を得るためにも学業で結果を出そうと、一心不乱に勉強した。おかげさまで大学の4年時には首席(特待生)となり、学費が全額免除になりました。両親はその浮いた学費を上京費用に充ててくれた。もちろん、僕自身も地元で靴の販売や家庭教師などバイトを掛け持ちして、上京の費用を一生懸命貯めました。

 そうして、毎週末「青春18きっぷ」で、仙台から浅草に通いました。浅草は、靴のメーカーや工房が多く歴史もある町。当時は、インターネットがあまり発展していなかったので、自分の足を使って靴づくりの情報を集め、知識を深めた。「靴」を仕事にするための準備を着々と進め、卒業後には浅草のとある工房にお世話になることに決まりました。

 
―晴れて靴工房へ。その後の道のりはどのようなものでしたか。
 

 浅草の工房では7年間修業をしました。工房に入ったからといってすぐに靴づくりの技術が身につくわけではなく最初の何年間は見習いとして掃除や買い出し、先輩職人の仕事の準備や雑用などの傍ら、ひたすら学びました。給料も決して多いわけでははありません。このご時世、飢えることはさすがにないのですが、普通に働いている同級生と比べ、買いたいものが買えず情けなさを感じたこともしばしば。思いを持って飛び込んだ世界であっても、やはり熱意だけで続くのは3~4年。正直な話、何度も「辞めよう」と思った時がありました。

 もう今日で最後にしようと思った時に、勤めていた工房がテレビに取材され、私も個別にインタビューを受けることになりました。すると、それを見た地元の友人から「テレビで見たよ」と言われたり、両親からも「すごいね」と褒められた。すごく嬉しくて誇らしい気持ちになり、もう少し続けようと思い直しました。その後も何度か世間から褒めていただくことがあり、心の支えになりました。こうして、心が折れては、またモチベーションを取り戻す、そんな日々が続き、7年ほど経つと精神的にも安定しはじめるように。オーダーメイドの靴の製作を任せられ、プロフェッショナルとしての自信もつきました。

 業界的には一人前になれば独立するのが一般的。このころから自分の工房の実現に向けて考え始めました。そして、もっと自分なりの靴作りを目指すために、本場であるヨーロッパ行きを決意し、ウィーンへ向かいました。
 
―靴の本場と言えば、イタリアやイギリス。オーストリア・ウィーンを選ばれたのは?
 
 オーストリアを選んだのは、むしろ「本場」ではないからです。もちろん、イタリアやイギリスにも素晴らしい工房はあるのですが、商業的で効率性を追求しているところもあり、マーケットが大きいだけに近代的になりすぎているように感じました。
 逆に、マイナーなウィーンは伝統的な工芸品を重んじる文化があり、靴づくりにおいてもマニアックな技術が残っている。さらに、靴のスタイルが自分の好みだったこともあり決めました。
 
―ウィーンで過ごした時間はどのようなものだったのでしょうか。
 
 とにかく、ありとあらゆる芸術をインプットしました。この経験がのちに、靴を使った芸術を世の中に出したいと思うようになる原点になったと思っています。ウィーンは、本当に芸術豊かな環境。修業先だった工房は午後3時半ごろに終了するので午後の自由時間、毎日のように美術館やギャラリーに通っていました。行く度に、自分の中に新しい芸術のアイディアが湧き出てくるのを感じた。この1年半のウィーンでの生活で得た膨大な芸術のアイデアと「芸術家になりたい」という思いを抱え、日本へ帰国しました。
 
―「靴の芸術」を極める
 
 帰国後の2011年、東京の荒川に工房を構えました。開業当初は、本当に寝る間も惜しんで働いた。工房の経営をしながら靴の製作もしましたし、靴をモチーフにした作品づくりもした。働き方改革に逆行するかのように、がむしゃらに働きました。仲間からも、大丈夫かと心配されるほどでしたが、自分ではちっとも苦には感じませんでした。妻も靴を製作していましたが、広報や営業といった部分は、私がやりました。経験がなかった分野なので手探りでした。

 独立してから5~6年が経つと、経営も安定し始めました。それまでに温めてきた芸術作品を持って、世界で個展を開催し始めていたところ、私の製品に白羽の矢が当たり 、2018年には宮内庁に自分の製品を納品するまでになりました。現在も、日本の伝統工芸を靴制作にも取り入れたり、新たな挑戦を続けています。
 
―靴への思いや探究心をシンガポールに伝えるに至った経緯とは?
 
 シンガポール政府が自国のファッションブランドを作ったりものづくりを強化したいという動きがあり、ファッション学校の「Taf.tc」から講師になって欲しいと声がかかりました。 今年が2年目で、まだ緒についたばかり。日本と同じようなプログラムになるにはすこし時間がかかりそうです。 日本では趣味レベルから本格的に学びたい方など層が幅広い。でも、みなさんには一貫して、技術の習得にとどまらず「自分にしかできない靴つくり」を探求しようとお伝えしています。叩き上げの私がここまでこれたように、誰でも努力すれば芸術的能力も磨くことができるはず。努力がおのずと道を拓くということも繰り返し伝えています。ただ、シンガポールの生徒さんたちには限られた時間しかないのが現状。主に技術習得に集中して頂きつつ、折を見ながらですが、少しずつ努力の大切さも伝えようとしているところです。
 


 

―シンガポールの生徒さんたちの印象は。
 
 シンガポールの生徒さんたちは、熱心に礼儀正しくプログラムに取り組んでくれています。層も日本同様に幅広く、主婦の方から革細工の職人まで年齢も様々。

 今年のプログラムはデザインから縫製までと一から靴づくりが学べる課程のため10日間以上にわたりました。平日の開催だったので多くの参加者はリタイアした方でしたが、中には有給をとって参加している熱心な方もいた。「休みをとってでも学びたい」という熱意があるシンガポールの若者たちにもっと参加してもらいたかったですね。
たしかに、シンガポールでは靴などものづくりが商売的に難しく、生徒さんが職人を目指すことに躊躇するのも理解できます。ただ、靴にはそれ以上に魅力があり芸術性がある。この思いを伝えながら、難しい状況であっても果敢に挑戦し黙々と制作に没頭するような、そんな人材を育てることを目指していきたい。熱い思いを持った職人・芸術家の輩出に貢献できたらと思っています。
 
―最後にメッセージをお願いいたします。
 
 私は叩き上げの靴職人であり芸術家です。美術大学への未練はありましたが、王道のステップがなくても、努力や周りとのコミュニケーション、また彼らのサポートにより、こうやって続けてこられました。特に、コミュニケーションは大切です。一般的に職人や芸術家というと、一人でコツコツというイメージがありますが、実際は、それでは新たなものを吸収できず芸術的な成長もありません。むしろ、カメレオンのように状況に合わせて柔軟になることで発展がある。ですから、人との関わりや新しい経験は、自分の新しい能力を伸ばすチャンスと思っています。是非、コミュニケーションを大切にしていってほしいですね。

 最後に、ちょっと私の靴の話を。シンガポールは暑いので革靴が蒸れてしまうと懸念されるかもしれませんが、私が作ったものならそれも解消されると思います。南国でも、革靴生活を楽しんでもらえたら嬉しいですね。(取材・文/望月愛子)

 

プロフィール

三澤 則行(みさわ のりゆき)

1980年宮城県出身。靴職人・芸術家。浅草で7年間修行の後、ウィーンへ。帰国後、荒川にMISAWA&WORKSHOPを開業。カンヌ映画祭でのコレクション展示やニューヨーク・チェルシーでの個展を開催。シンガポールのファッションスクール「TaF.tc」で講師を担当し、アメリカ・デトロイト芸術大学をはじめとした世界各地で特別授業を開講。靴の芸術家として自身の作品が美術館に展示されることが将来の夢。

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