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ビジネスインタビュー

2012年10月15日

「離見の見」で最高のサービスを提供したい

日本航空株式会社 シンガポール支店 支店長 河原畑敏幸さん

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「JALを支援してくださる方、再建中もご利用頂いた方、今回の再上場に伴い株主となってくださった方などすべての方に心から感謝したい。今後も慢心せず地道に努力し、社員とともに皆さまの期待に応えていきたい」。シンガポール支店長である河原畑氏が「読者の方々に伝えたいこと」として真っ先に語った言葉だ。

 
2010年1月の会社更生法適用から約2年8ヵ月での再上場を果たしたことについて、同社の再建がこれだけの短期間に進み、企業再生支援機構を通じて投入された3,500億円の公的資金も全額回収されたことは、世間にも驚きをもって受け止められた。再上場の日には、名誉会長である稲盛和夫氏から「謙虚にしておごらず、さらに努力を」、「現在の結果は過去の努力によるもの」といった言葉が社内に向けて発せられたという。

 
JALは、その顔であったジャンボジェット機をすべて手放し、不採算路線を削減、従業員数も3分の1を削減し、残った従業員の賃金もカット。企業年金の支払いも削減した。さらに、リーダー層の意識を変えるために本社に在籍する役員や経営幹部など50名程度に対して稲盛氏がリーダー教育を実施。その中で氏が繰り返し説いた考え方や哲学が『JALフィロソフィー』という小冊子にまとめられ、全社員に配布された。

 
「『JALフィロソフィー』は英語版と中国語版も作成され、海外支店でも配布されました。シンガポール支店でも週に1回は朝礼の中で『JALフィロソフィー』を皆で読み、書かれていた内容を実践して体験したことや自分なりの解釈を発表する時間を設けています。海外では、宗教や育った環境、言語が違うことはもちろん、会社と個人の関係についての考え方も異なります。しかし、『JALフィロソフィー』にあるのは『感謝の気持ちを持つ』などいたってシンプルなこと。時間をかけて繰り返すことで定着を図っています。徐々にではありますが、社員同士はもちろん、お客様とのコミュニケーションにも変化が起きています」。

 

 

河原畑氏がシンガポール支店長として着任したのは2011年1月。当時は、支店の中もどことなく沈んだ雰囲気に包まれていた。それから約1年9ヵ月、オフィスにも明るさが戻ってきている。
シンガポール支店は来年で開設55周年を迎える。10月14日からの787のシンガポール〜東京間就航、さらに10月28日からの同区間の1日3便への増便は、同支店にとっても朗報だ。「破たん後、増便となるのはアジア地区では初めて。地元の航空会社をはじめ世界各国の航空会社との競争にさらされる厳しさはありますが、ポテンシャルは高い路線で、最新鋭機のボーイング787を投入するなど弊社としても期待しています。日本人の律義さや信頼性の高さを生かした品質の高いサービスを『ジャパン・プレミアム』として提供していきたいですね」と河原畑氏は意気込みを語る。

 

金融業界から転身し、ニューヨーク、パリに駐在

河原畑氏は、JALの中でもちょっとユニークな経歴の持ち主。1990年、金融業界から転身し、同社の経験者採用第1号として入社した。しばらくして、ニューヨークにあった子会社のリストラとファイナンス会社の立ち上げを任されることに。前職の頃から出張等で訪れていた街とはいえ、異国の地で上司もいないという環境。会計システムの入れ替えを自ら手掛け、3日間徹夜で作業したこともあった。苦労のかいあって業務が軌道に乗り、新たに人を雇い入れて規模を拡大するステージも経験できた。地元中小企業との付き合いなど4年間の滞在中に勉強できたことがその後も役に立った。

 
この時の経験で一番変わったことは、ものの考え方。「判断は難しいものです。何を拠りどころに判断するかで、その後が大きく異なる。会社としての判断を下すために、できる限り情報を集めて勉強もしました。さらに、他にも足りない情報はないだろうかと考えるよう自分を仕向ける。そんなことを繰り返しているうちに、リスクを負う怖さを知った上で自信を持って判断を下せるようになりました。まだ30代のうちに、いろんなことが凝縮されたこの4年間を経験できたのは本当に大きかったですね」。

 

パリには支店長として2年半滞在。あいにくフランス語には不慣れだったが、街中で言葉が通じないことをむしろ面白がった。中国語が飛び交うチャイナタウンにもしばしば足を運んだ。パリでは、フランス人の異文化に対する受容性の高さに関心したという。
「日本はエキゾチックなものとして捉えられていて、精神的なものや文化、伝統などに対する関心が強いんですね。彼らは毎年数週間から数ヵ月の長いバカンスを取るので、その期間を利用して日本に行ってみたい、行くからには飛行機も日本の航空会社を利用して、旅の始まりから終わりまで日本を感じたい、というニーズがありました」。

 
一方シンガポールは、日本と同じアジア圏ということもあり、感覚的に東京にいる時とあまり変わらないという。台湾、韓国、タイなど近隣に旅行先として人気の高いライバルも多く、競争が激しい。昨年3月に発生した東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故で大きく落ち込んだ訪日需要も、かなり回復してきてはいるがまだまだ以前のレベルには達していない。
「需要を掘り起こすには、『クール・ジャパン』をアニメやファッションだけでなく様々な面で具現化する必要があると思います。その素材は豊富にありながら、うまくアピールできていないものも多いのではないでしょうか。日本の良さを『ジャパン・プレミアム』としてアピールすべく、弊社も協力していきたいと考えています」。

 

これまでにロンドン、マニラ、ロサンゼルスなどにも長期滞在経験がある河原畑氏が、滞在先で必ず行うのが、自分の足で街を歩き回ること。スーパーマーケットやデパートに行ってどんな人々が集まっているのかを見たり、街並みを見ながら自分の頭の中でマッピングして、肌感覚でなじめる場所を探していく。シンガポールに赴任してすぐの頃はチャイナタウンを歩き回った。15年前にも訪れたことがあったが、その頃との大きな変化に驚いたという。

 

海外における社員とのコミュニケーションでは、個人を尊重することを心がけている。「仕事の仲間として大事にしますが、仕事を離れたところでの付き合いを求めたり、プライベートなことをいきなり聞いたりということは、意識的に最初からはやらないようにしています。1〜2年経って仲良くなってからであれば構わないと思うのですが。まずは仕事の中でコミュニケーションを図っていきます。ドアは開いているからいつでも入ってきて良いよ、という状態を作って、社員が私に”ツッコミ”を入れられるぐらい話しかけやすい状態にしているつもりです」。常に間口を広くし、社員からの自発的な言葉にはどんどん答えていくようにしている。

 

座右の銘はずっと「有言実行」だったが、数年前から世阿弥の言葉である「離見の見」が加わった。稲盛氏がリーダー教育の中で話したことがきっかけで、以来頭の隅から離れないという。
「世阿弥の場合は、能面の内側からのわずかな視界しかない中でも、自分の舞が観客にどう映っているかを隅々まで把握していたと言います。我々に言い換えれば、自分が何かをする時に、相手がどう思うか、あるいは相手がどう反応しているか、相手の視点を意識すること。決して他人の目を意識して抑制せよというわけではありません。『離見の見』に卓越することが、最高のサービスにもつながるな、と。マネージメントやビジネス戦略にも言えることで、奥深い言葉ですね」。

この記事は、シンガポールの日本語フリーペーパー「AsiaX Vol.222(2012年10月15日発行)」に掲載されたものです。
取材=石橋雪江

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