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来星記念インタビュー

2017年4月25日

【動画あり】東海大学客員教授 前読売巨人軍監督 原辰徳 自分に役割や義務を持たされることは大事 子どもたちや野球界のために頑張りたい

―WBCでは、王貞治さんが監督を務めた第1回、そして原さんが監督だった第2回で日本代表チームが優勝しましたが、今年行われた第4回大会では惜しくも準決勝で敗退となりました。他国のチームの戦いぶりをご覧になっていてどう思われましたか。また日本代表が今後世界で勝っていくための課題などについて、ご意見をお聞かせ下さい。

 

第1、2回のWBCで日本が優勝できたのは、簡単に言うと「スモールベースボール」の強みを発揮できたからだと思います。送りバントも取り入れながら一点一点を積み重ね、ピッチャーを中心にした守りの野球を行う、その強さを米国やベネズエラ、ドミニカといった他の国も理解し、実践するようになりました。第3、4回大会では他国のチームもバントを多用したり、ここぞというところでは犠牲打を打ったりしています。これは第1、2回大会で、日本が世界の野球のプレースタイルに対して一石を投じたと言えるでしょう。

 

彼らはもともと、パワーとスピードに優れていますが、そこに日本が展開してきたスモールベースボールを取り入れたことで日本との差が生まれているように思います。ただ私は、全員が全力でプレーするスモールベースボールにおいては、日本が世界で一番長けていると思います。今後世界一を奪回するためには、スモールベースボールに加えて、例えばノーアウトランナー1塁から長打を打って一点を入れるような、よりパワフルなプレーも目指さなければいけません。

 

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身振り手振りを交えての講演に、観客は熱心に聞き入っていた。

―2020年の東京オリンピックでは、野球とソフトボールが正式種目に決定しました。感想をお聞かせ下さい。

 

プロ野球界にとって、次なる一番大きなイベントはやはり東京オリンピックです。東京オリンピック以降も野球が正式種目として存続するかは定かではないですが、野球ファンが多い日本でのオリンピックで、金メダルを競い合うという展開は盛り上がると思います。

 

―2015年に巨人軍の監督を退任されました。その際「来年1年はフラットに過ごしたい」という旨の発言をされています。退任後はどのように過ごされていたのでしょうか。また今後の活動の展望についてはいかがでしょうか。

 

巨人軍の監督時代は、時間に追いかけられながら、自分の目の前にいる敵と戦ってきました。2016年は、監督としての使命や義務に追いかけられる生活から開放された1年でありたいという思いがあり、退任後はロンドンへワールドカップラグビーの決勝戦を見に行ったり、神社仏閣巡りをしたり、歌舞伎やミュージカルを見に行ったりしていました。

 

ただ今では、自分に何か役割や義務を持たされることも大事だと思っており、多少は時間に追いかけられるものも悪くないと感じています。使命や義務に追いかけられる生活から開放された今の状況も居心地は悪くないけれど、少し飽きてきているといったところでしょうか。自分の野球人生はまだ半分残っているのかもしれない。今後も子どもたちや野球界全体のためにできることがあれば頑張ってみようと思います。

 

322web_MrHara(Profile)_IMG_8235原 辰徳 (はら たつのり)
1958年7月22日福岡県生まれ。東海大学相模高校・東海大学政治経済学部を卒業後、1981年にドラフト1位で読売巨人軍に入団。1995年に現役を引退し、2002~2003年および2006~2015年にかけて同チームの監督を務め、セ・リーグ優勝を7回、日本一を3回経験。2009年には、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表監督としてチームを優勝に導く。2016年に読売巨人軍特別顧問および東海大学客員教授に就任。

取材・写真:佐伯 英良

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